• 教育
  • 2015. 09. 28

若いって いつまでかな?

アシスタント時代……。

僕は1989年あたりに上京
平成になって間もなく
バブル崩壊直前

阿佐ヶ谷の床屋さん

アシスタントと言うより

修行の丁稚 みたいな
住み込みで 八畳間に二段ベット三つ
6人部屋の寮に入りました

朝 起きたら 店の周りの掃き掃除
サロンの掃除

師匠が出てくるまでに
全て準備して

8時に開店 お昼までに下回り
(洗い物などのいわゆる雑用)をこなして

お昼に一回目の洗濯回してる間に
昼食を済ませ
脱水終われば屋上に干しに行く

まるで洗剤のCMみたいに
綺麗に並べて干すルールで
雑だと おじいちゃんに怒られます

畳むのも キチンと端を揃える
タオル屋さんのディスプレィレベルです

まぁ 正直
華やかな東京での
活躍を夢見て出てきたのに……

何回も心折れそうになりました

朝から晩まで
掃除洗濯 いくら練習しても
お客様に触れない

まして当時
カリキュラムや
昇格システムみたいなのも無いので
いつどうなれるかの見極めも出来ないし
何が正解かも 全くわからない……

ある日 突然同期はお客様に入り始める
理不尽な気持ちにへこたれそうになりながら

いつか きっと……image

多分ですが
師匠の気分だった気がします(笑)

あっ今 みたいな

機嫌が良いとか(笑)

でも チャンスそのタイミングに
あたふたせず
当たり前のように
すう~っ!と
入れるか?

実際
何度かのチャンス失敗して
先伸びてしまい
師匠の機嫌を損ねて

周りに迷惑かけました(°_°)

見ようによって 理不尽です
でも 掴み取れ無かった
自分に間違いなく弱さがあったのです

心の準備… ストレッチ

まぁ 何度となく
くそっ〜 もうええわ❗️ と
投げ出そうとしました……

それを乗り越えた
先輩が勿論いるわけで

察して
さらっと 飲み屋に呼び出され
梅干し杯をぐちゃぐちゃしながら

歯応えの良い 軟骨を食べさせてもらい

『辛いっす‼︎無理ですっ』
泣きながら 訴えると

なんと先輩
泣きながら応えて
『辞めんな 今じゃ無い‼️』

引き止めてくれました

つくづく
今は感謝しかなく
あの時 辞めたら…

後から
逃げたな……って
絶対 思ったし

嫌なら辞めるって
嫌ならキレる

元々自分の持っていた
駄目さを克服出来ずに
今頃 何してた生きてたかも
だいたい想像つきます(笑)

床屋の修行が

僕のアシスタント時代
そこで何に耐え 何を感じ
何を行動する

こうなってみたい…
こうなりたいと思ってます?
なれたら良いな〜(°_°)
なれそうな気がする♪( ´θ`)ノ
必ずなる☆彡

絶対になってやる(`_´)ゞ

ちょっとのニュアンスで
生きる為への自らの導きや
何かしら 道標への気付きが変わる……

 

 

さて
今 僕はミラノにいます

ミラノコレクションの
バックステージを終えた
マルペンサ空港です

メーカーさんの招待でもなく
お金払って入れて貰ったのでもなく
キチンと直接オファーを頂きました
報酬も キチンと出ます

一回目はほぼ来たければどうぞ
二回目は もし来れれば

そして 今回です☆彡

まさか
床屋の修行から
25年後 海外で仕事するって……

奇跡のようですが
あの頃から
そうなる 呪文を 唱えてました

『絶対に逃げない

何があっても逃げ無い

チャンスを逃さない

人のせいにしない

環境のせいにしない

全ては自分が決めている

自分の器は自分で広げる

感謝の気持ちを忘れない』
依存しかなかった

大阪時代

懲り懲りな自分で創っちゃった
くそったれの人生から

脱出の

ラストチャンスと思って出てきた

東京は

今現在でも夢に満ち溢れています

DREAMS COME TRUE

ps
若いうちの苦労は買え
必ず お釣りくるからね。

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