• 教育
  • 2015. 04. 14

高校生のときに書いた文集「夢」〜美容師への道〜

ASSORT 小林 Ken 高校生の文集
どうも、ASSORTの小林 Kenです^^
先月業界誌の取材で「今の小林Kenのルーツとなるものを用意してください」とのことで、昔読んでいた本やデッサン、アートワークを色々掻き集めていたところ、アメリカにいた頃の文集がでてきました。
画像でも表示してありますが、(恥ずかしながら)字も不得意ですので、一応以下にも記入させて頂きます。
「夢」
 
高校三年 小林ケン
 
人を美しく創り出すのは美容師の役目であり、誰でもがその役割を果たせる訳ではない。知識、自身(自信)、そして才能を誇る、限られた人間にしかできない職業である。私はそのような理想的な職業を現実にしてみせると決意した。何故なら手に職を持つことは素晴らしく、自分自身の個性を様々な形で表すことが可能であるからだ。
 
私はアメリカで生まれ育ち、日本での生活を経験したことはないが、観光や親戚の関係で数回訪れたことはある。去年の五月にアメリカの高校を卒業し、ロスにある大学のグラフィック・デザイン科に入学する予定であった。しかし、昔から憧れていた美容師になるという夢をあきらめきれず、合格していたロスの大学を断り、美容師の道を進むことを決意した。私は誰よりも美容師になる自信があり、また大きな夢を持っている。それは外国で学んだ技術をアメリカで磨き、アメリカ一の日本人美容師になることだ。
 
美容師になるには学校で専門知識を学ぶ必要があり、アジア、ヨーロッパ、そしてアメリカにも数々美容学校は存在する。その中で、私はどの国よりも基本を大切にする日本を選んだ。才能やセンスがあろうとしても基本がしっかりしていない限り一流とは認められず、私の夢への扉が閉じられてしまう。アメリカで美容師免許を取得するのは容易だが日本では厳しい。二年間学校へ通い、そして卒業後に国家試験に受かって初めて美容師としてのスタートラインが示される。
 
美容師という名のフィニッシュラインまでには大きな坂がある。そして、その坂を登りきれるものだけがゴールし、成功する。私は成功するには必要な荷物(要素)があると思う、それに欠かせない武器は努力と自信である。
 
私は去年の十一月、この志望動機で日本の美容学校に受験し、無事受かった。それは私だけの力ではなく、周りの人間の応援の御陰であり、非常に感謝している。今年からはいろんな意味で人生最大のチャレンジが始まろうとしているが、全く怖くも不安でもない。何故ならこんな私を応援してくれている人ひとりでもいたら、絶対諦めないからだ。そして並みの美容師ではなく、この世で誰もが認めてくれるヘア・スタイリストになる。今まで小林ケンを応援してくれた人(家族・親友・先生)に心から感謝し、世界一へとたどり着くことを約束する。
 
有難うございました。
私はアメリカでは現地校(インターナショナルスクールなどではなく、現地テキサス・ダラスの人と同じ一般の学校)に通っていましたが、学校は月〜金で、土日は休みでした。
そして毎週土曜日は(現地校が休みのため)、日本語補習校という学校に通っていました。こちらは主にダラスへ駐在となった会社員のご家族(お子様)方々が通う学校であり、(駐在の方は通常2〜3年で日本に帰国されるため)学生のお子様達が日本の教育に遅れないようにあるものです。(世界中に存在します。)私が通ったのは主に小学校で、中学校は卒業もしませんでした。
当時は「何故日本語がこの世に必要なの?」と思ったり、現地校での勉強や遊びが楽しくて補習校は辞めてしまいました。先生にも「遊びに来てるだけで、勉強しないなら最初から来るな!!」と言われたことも屡々覚えています。 ※あの頃は、まさか日本に住むことになるとは夢にも思っていませんでした。
しかし、日本に単身で渡ると決めた際、どうしても語学の問題がありました。簡単な日本語は理解できるものの、日本で生まれ育った生徒達と同じ授業を受けるレベルはまず100%無理でした。日本に行くというのも自分で決めたことだったので、親の力を借りたくなく、現地(アメリカ)の高校を卒業後、アルバイトで貯めたお金で自腹で補習校に再度、通うことにしました。
 kenbeforeafter
(写真左) 2002年、18歳。日本語補習校にもう一度通い始め、運動会のときの写真。(日本と同様、運動会も行われるのです)なんかチャラいですねw
(写真右) 2015年、30歳。 東京本店、ニューヨーク支店、に続いて香港支店をオープンした頃の最近の写真。(なんか濃くなりましたねw)
日本の美容学校の入学が決まった頃には、アメリカ生活は半年と迫っていました。従って、必死に日本語を勉強しました。決めた夢に対して一歩でも近づけると思い、今までは嫌で嫌で辞めてしまった補習校が、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
こちらの文集も、一見まともな日本語に見えますが、実は先生がたくさん直してくれました。(それでも所々おかしいですがw)※先生の写真は最後に載せて頂きました。

あれから約13年が経ちました。

あんなカッコつけていたのに、実際日本で生活してみたら、何もかもがそう甘くなく(そりゃそうですよねw)、ぶっちゃけ何度も美容師を辞めようと本気で思いました。でもどこかブライドのせいか、応援してくれている家族や友達の顔を思い出す度に、もう一度頑張ろうと立ち直り続けました。
※詳しいエピソードなどは、私個人のブログで紹介させて頂いていますので、時間があるときに是非ご覧ください。
 「オカンへ、(照れくさいけど読んでね)」//assort-inc.com/ken/1835/ 
「assort one year anniversary」//assort-inc.com/ken/1820/
お話は戻りますが、、、
世界一になると(文集に)自信満々で言いながら、スタイリストにもなれずアメリカに帰ることはできませんでしたしね。
そして今では、諦めずにここまでやってきて、本当に良かったなと心から思います。それも、やはり周囲の方々の支えのお陰です。スタッフ、家族、親友、みんなみんなみんなです。
ニューヨーク進出と香港進出を無事果たし、まだまだ少しずつですが、夢に向かって一歩一歩の階段を登り続けたいと思っています。
当然出店が目標ではなく、 各店舗各国で頑張っているスタッフ全員の夢を実現しつつ、何よりもお客様ひとりひとりに最高のデザインと個性を提供し、美容を通して(スタッフへもお客様へも)幸せを与えることだと思っています。
こんな最高のスタッフに恵まれたお陰で、今では私個人が世界一になるのではなく、このASSORTで出会えて、一緒に働いていてくれている仲間一人一人の個性やライフスタイルを尊重し続け、に世界を目指したいと思います。

 

そして話は変わりますが、(日本では)業種問わず、今月から新卒生ひとりひとりが夢に向かっての第一歩がはじまろうとしています。

最初からお伝えしますが、当然夢は年齢やそれぞれの事情に寄って変わったりします。でも、根本として自らやりたいと思ってやっている職業を、心から愛することを忘れずに、初心を忘れずに、夢を持ち続けることが何よりも大切であり、絶対諦めないことです。

夢に大きいや小さいなどもないです。
トップスタイリストになって売上NO1になりたい、(女性美容師さんは特に)仕事と家庭を両立したい、海外で働きたい、独立したい、ヘアメイク業界に挑戦したい、会社の幹部になりたい、、、

楽するだけでは楽なものしか生まれません 。

楽するだけで何事も達成できるのであれば、世の中成功者だらけです。文集にも書いてありましたが、諦めずに努力をし続けること、常にポジティブに物事をとらえることです。
人は皆、そういう人を応援したくなるのです。(マイナス思考な人には、誰だって関わりたくないのです。)
なので、みんなに応援してもらえるようなポジティブなマインドで日々、前進しましょう!

そしてその周囲の応援こそが、夢や目標を達成させてくれる大きな力ではないでしょうか?

では have a nice day:)
小林 Ken
twitter: @assort_ken
instagram: assort.ken
facebook: the.ken.kobayashi
blog: 小林 Kenのブログ
P.S. 下の写真は、補習校へ再度通いはじめたときの(旧姓:篠原)先生です。下手くそな日本語を綺麗に直してくださり、改めて、ありがとうございます!※ビューティーフルライフをみて美容師になると決めた私は、この頃キムタクが大好きで、人気ドラマ「HERO」のジャケット、買ってしまいましたwww
高校生のときの先生
POOLMAGAZINE公式LINE@
おすすめの記事をお届け!
友だち追加

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

NEW ENTRY

最新記事のつづきを見る

CATEGORY

POPULAR ENTRY

Six by ネイル大学

BACK TO TOP