- コラム
- 2018. 03. 01
ヒカルに捧げるブログ 2
1月7日
早朝に日本に帰国して、すぐにヒカルの親族から連絡が入った。
お通夜とお葬式の日取りが決まったとの連絡だった。
ヒカルの遺品は全て警察に没収されていて、親族の手元には遺品が何も無いという事だったので、一緒に暮らしていた部屋からヒカルが大切にしていた物をいくつか北海道まで持っていくという手はずとなった。
カンタロウ家族の暮らす家と、弟子とともに暮らす家は別だった。
家族をカンタロウ家族の家に送り届けた後で、一人でヒカルと暮らす部屋に入り、ヒカルの部屋に入った。
ヒカルは1月7日に大阪に戻ってくる予定だった。
LIMスタッフの仕事始めは1月5日からだったけど、俺たち家族を元旦の日に空港まで送る任務もあったし、せっかくの久し振りの里帰りであると聞いていたので、ヒカルには特別に1月7日までお正月休みを与えていた。
カンタロウ家族が帰ってくるのは、ヒカルが大阪に戻って来た翌日の1月8日。
つまりヒカルは俺よりも1日早く帰ってくる予定だったわけだ。
ヒカルの部屋は、散らかりっぱなしだった。
食べ終えた食器もそのまま洗ってない。
飲み物のパックも中身が入ったままで、放置。
パンの食べかすや、袋もそのままだった。。。
そんな状況が余計に俺を悲しくさせた。
あんまりにもリアルにヒカルの生活がそこにあった。
そのままのヒカルがそこにいた。
だから、俺は全ての物に全く触ることが出来なかった。。。
触るのが怖かったっていうよりも、『もう少しこのままにしておこう。』っていう思いがあったのかな。。。
とにかく俺はヒカルの物には何も触らずに(食べ散らかしたゴミさえも)、グルっと部屋を見回しただけで、直ぐに部屋を出た。
その後、慶志郎やLIMスタッフ達の事が気になっていたので、LIM+LIMに行った。
みんなが俺を見る目が、いつもと違う。
俺に声もかけづらそうな雰囲気も感じた。
それはそうだよな。
いつも、何があっても、どんな時でも気丈に振る舞っている俺だから、心配する声をかけることさえも『失礼な事』だと思ってるんだろう。
まぁ、俺が作ってきたキャラクターもあるし、それがみんなの優しさだと思えてありがたかった。
俺は俺で、逆にみんなのテンションや動揺が気になっていたので、出来る限り一人一人に『大丈夫か?』と声をかけて回った。
仕事中ということもあり、みんなもバタバタと働いていたが、俺が声をかけるやいなや、目に涙を浮かべる者もいた。
その後で慶志郎にも声をかけに行き、色々と手配してくれたことにお礼をした。
そして同時に、周りのLIMスタッフが俺たち2人の事を一番心配してくれていると思うから、嘘でも、強がりでもいいから『俺たちは大丈夫だというフリをして立ち振る舞う様に。』と忠告した。
とりあえず、ヒカルのロッカーを整理して、ヒカルのシザーケースを持って帰る事にした。
そして、慶志郎にカンタロウのトレードマークになっていた『三つ編みおさげ』を切り落としてもらった。
冥土の土産として、ヒカルの棺桶に入れる為だ。
俺の気持ちも少しはマシになるかな?と期待していたが、全く何も感じなかった。
やっぱり心の中が空っぽのまんまだった。
改めて家に戻ってヒカルの部屋に入った。
部屋を物色する様に、あれやこれやを細々と触った後、思い切って散らかってる部屋の掃除を始めた。
本来であれば、俺が日本に戻ってくる前に、ヒカルが北海道から帰ってきて、今頃、まるで何もなかったかの様にする為に、必死でこの部屋を片付ける筈だったんだろうな、とかを考えてると、少し怒りも込み上げてきた。
『あいつ、、、。ほんまに。。。』
食器を洗い、飲み物を捨て、冷蔵庫の中のものも全部捨てた。
レシートのカスや、仕事で使う輪ゴム、ゴム手袋が部屋のそこら中にあった。
とにかく、明日の朝には北海道に向かわなければならなかったので、ヒカルの遺品となる物を探した。
ヒカルが使っていたバックを全部引っ張り出して、バックの中身、小さなポケットから出てくる物、全てを引きずり出した。
全てのバックに、俺の名刺、そしてスケジュールカードが入っていた。
以前、俺の名刺が急に必要になった時に、手持ちの名刺が切れて出せないことがあって、ヒカルに「お前俺の名刺を準備しとけ!」叱りつけた事があったからだろう。
小さなノートもいっぱい出てきた。
どのノートも2、3ページしか使っていない。俺がメモを取らない事でブチギレ事があったから、きっと手持ちのノートが無い時、慌ててコンビニで買った物だと思われる。同じく、ボールペンや鉛筆、消しゴムも大量に出てきた。
俺はノートにメモされた内容を、ヒカルを改めて知る為にも全て読んだ。
俺が何気なく注意した内容。
どうでもいい様な一言や、メモする必要も無いような馬鹿げた内容まで、あいつは逐一、メモに取っていた。
妻が、『信じてたんだね。絶対に一流になれるって。』と俺に言った。
重要な内容のメモよりも、メモらなくても良い様な内容のメモが俺を苦しくさせた。
アイツ、本当に真っ直ぐに俺を信じていたんだな。。。
夜になって、仕事を終えた慶志郎を呼び出し、友人のマルも誘って、3人でヒカルの弔いのつもりで酒を飲みに行った。
明日、ヒカルに会う。
その瞬間に一番弟子の慶志郎が、どれだけ取り乱すかが、俺の唯一の心配だった。
慶志郎に心の準備をさせる為にも、これから俺たちがどう立ち振る舞うべきなのか?そして、どの様な心持ちでいるべきなのか?という、『未来』の話だけをした。
思い出話や、後悔なんかをしている場合じゃない。とにかく、いま生きている俺たち。そして、これからも生きていく俺たちのことについて話をしながら、夜を過ごした。
1月8日
朝、慶志郎が迎えに来た。
慶志郎もあまり眠れていない様だった。
カンタロウ、嫁、慶志郎の3人で北海道へと向かった。
空港からヒカルの実家に向かう道のりに『事故現場』があると聞かされていた。
事故現場となったトンネルに近づくにつれて、複雑な思いになった。現場を見る怖さもあったし、見たくないという思いもあった。
車のスピードを落とし現場を探した。
でも、事故現場の様な場所は見つからなかった。
立った3日前の事なのに、事故のあったトンネルは、事故の気配を全く感じさせずに、当たり前の綺麗なトンネルになっていた。
それがまた俺の気持ちを拍子抜けさせ、同時に途轍もなく悲しくなった。。。
もう過去の事なんだ。。。
まだヒカルにさえ会っていないのに、もう既に時は流れて、過去になっていた。
気持ちが急いで、車を飛ばしていたからだろうか?思っていた時間よりも、早くにヒカルの家に着けそうだった。
親族の方も忙しいだろうという思いと、少し気持ちを落ち着けてから行こうという思いもあって、とりあえず展望レストランに入って、ご飯を食べる事にした。
白銀の世界を見つめながら、ヒカルが育ったバックボーンに想いを馳せた。
親族の方から、お通夜の準備が出来たと連絡が入ったので、ヒカルの元に向かった。
遂にヒカルとの対面の時だ。
ヒカルの顔を見たときの最初の印象は、あまり覚えていない。
慶志郎がもっと取り乱すかなと思ってたけど、慶志郎も何も特別な雰囲気でも無かった。
ただ俺たち3人でヒカルを囲んで、上からずっと覗き込んでいるだけだった。
ヒカルの顔に触ってみた。
冷たく硬かった。
もうヒカルは死んでるというのに、思わず『大丈夫か?』っていう言葉が出そうになった。
親族の方は辛い思いをされているはずなのに、俺たちにとても優しかった。。。
ヒカルの大阪での日頃の生活の話を、すこしだけさせてもらった。
いざヒカルに対面してからも、特別な感情は湧かなかった。
3人とも無言になっただけだった。
一旦、ホテルに戻って、お通夜を待った。
改めてお通夜にも参加したけど、そんな気分は何も変わらず、そのままの気分だった。
ただ、『ヒカルはもう死んだ。』という事実だけがリアルになって、現実を突きつけられただけで、受け入れるしかない事を思い知らされた。
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
TwitterでPOOLMAGAZINEを
Follow @POOLMAGAZINE_jp